導入事例
桒田三秀税理士事務所 様
2014年5月29日
桒田三秀税理士事務所は、広島県福山市に事務所を構える会計事務所である。所長の桒田三秀先生は丁寧な顧問先対応に定評があり、小さな会社も例外なく、すべての顧問先を直接訪問し、自ら経営指導をしている。そのような姿勢が好評で、地元企業の経営者から厚い信頼を得ている。「税理士が大切にすべきなのは経営者と向き合って話をすること」と語る桒田先生は、事務所に有資格者を迎えて組織を強化し、顧客支援サービスのさらなる向上に取り組んでいる。今回の取材では、桒田先生に、税理士として顧問先に向き合う姿勢についてお話を伺った。また、桒田先生は会計人の全国組織であるミロク会計人会連合会に参加しており、2013年秋に地元広島で開催された同会の全国統一研修会の実行委員も務めた。桒田先生には、ミロク会計人会連合会への思いについても併せてお聞きした。
広島県福山市で地域企業を支援する桒田税理士事務所
―― 桒田先生が所長を務める桒田三秀税理士事務所は、広島県福山市にあり、地域企業の支援に日々取り組んでおられます。事務所の設立は平成8年だそうですが、まずは設立までの歩みをお聞かせください。
桒田 私は立命館大学経営学部に進学したのですが、当時は弁護士の道を目指すことを考えていました。そこで、名古屋の中京大学大学院に進学して勉学に励む傍ら、法律事務所の職員として働き、さらに中京高校の講師も務めるという三足のわらじを履いていました。
このときお世話になった法律事務所は、いわゆる法律会計事務所で、法務だけでなく税務も扱っていました。
私はこの事務所で、主に税務の仕事を任されていました。このときに、税理士という仕事のおもしろさに気づいたのです。弁護士の仕事もよいとは思ったのですが、次第に税理士になろうと考えるようになっていきました。
また、私が税理士の道を歩むことになったのは、父の勧めも大きかったと思います。
―― お父様はどのような仕事をされていたのですか。
桒田 父は祖父の代から続く縫製工場を経営していました。福山市は縫製業が盛んな地域で、父の工場は作業服や防寒ジャンパーなどを作っていました。
ただ、こうした色・サイズ・ロットの多い衣類の製造は、現在ではほとんど海外に流出しています。日本に残っているのは特別な付加価値を持っているものだけですね。
父の工場も、最後のころには女性向けのブラウスを作るなど、高付加価値化に取り組みましたが、残念ながら廃業しました。
父は縫製業のこのような流れを、ある程度予見していたのではないかと思います。それで、私に工場を継がせることはせず、税理士の道に進むことを勧めたのでしょう。
私は26歳で広島に戻り、尾道市の会計事務所にお世話になりました。28歳で税理士資格を取得し、勤務税理士になりました。そして気がつくと、12年もその事務所にお世話になっていたのです。それは、所長先生によくしていただいたことが大きかったと思います。
ただ、私自身は、いつかは独立したいと思っていました。37歳のとき、親の年齢や子どもの年齢などを考えると、あと5年経ってしまったら独立はできないだろうと思いました。
それで意を決し、福山に帰って独立開業することに決めたのです。
開業時は、まだ事業を続けていた父の工場の隅にある和室8畳間を借り、妻と2人で仕事をしていました。
―― 奥様と2人でのスタートだったそうですが、その奥様とは学生時代にバンドを組んでおられたそうですね。
桒田 私は音楽が好きで、大学時代にフォークギターのバンドを組んでいたのです。
ただ、男2人のバンドだったので華がない(笑)。そこで、当時はインターネットもありませんでしたから、音楽雑誌の通信欄で女性ボーカルの志望者を探したのです。
すると、近くにボーカル希望の女性がいることが分かり、友人と2人で「どうなるか分からないけれど、会うだけ会ってみよう」と言って会ったのが、現在の私の妻なのです。
大学卒業に合わせてバンドは解散し、相方は地元の岐阜に帰って警察官をしています。私は大変ラッキーなことに、一目惚れした妻と結婚したというわけです(笑)。
その妻に、開業当初は本当に助けられました。今思い返しても、よくここまでついてきてくれたものだと感謝しています。
―― 事務所にギターを飾っておられますが、今もギターを弾かれているのですか。
桒田 実はバンド解散後20年くらいは、ギターに触れていませんでした。
このギターはOvation Guitar(ジョン・レノンも愛用した米国のギターブランド)のビンテージモデルで、数年前に偶然目にし、思わず買ってしまったものです。ギターを再び弾くようになったのはここ7~8年のことですね。今ではお客様の飲食店で、ライブをさせていただいたりしています。
広島県福山市で地域企業を支援する桒田税理士事務所
―― バンドまで組まれていた音楽を、20年も封印していたというのは、それだけ事務所経営に注力されたということなのでしょうね。
開業当初の顧客開拓にはどのように取り組まれたのですか。
桒田 実は積極的に営業に取り組んだという意識はなく、お客様からの紹介で増えていったというのが正直なところです。
ただ、当時のことを思い返してみますと、私は30代後半で地元に戻りましたから、高校の同級生がちょうど親の事業を継いだり、銀行や企業などで中堅どころを担う役職になっていたりしたのです。そのような同級生から紹介してもらえたのは大変ありがたかったと思います。
―― 桒田先生は、著名人を多数輩出していることでも知られる県立福山誠之館高等学校のご出身だそうですね。卒業生の方とのネットワークが顧客拡大につながったということですか。
桒田 私の母校は卒業生の結びつきが非常に強かったほか、同級生の半分くらいが地元に残っていたので、母校の縁で脱サラした方がお客様になってくださったこともありました。
おかげさまで、開業3年後には事務所の社屋を建てることができました。
―― 現在は12名規模の事務所になっているそうですが、ここまで順調に発展してこられたようですね。
桒田 そうですね。廃業されてしまうお客様もありますが、それを差し引いても毎年15~20件程度のペースで拡大しています。近年では、ほかの事務所から移ってこられるお客様も増えています。
さらなる発展に向けて 体制を強化
―― 事務所の拡大に伴い、所長先生がひとりですべての顧客に対応できなくなることについては、悩んでいる先生も少なからずいらっしゃると思います。桒田先生はどのような対策をとるつもりですか。
桒田 私がすべてのお客様に対応する組織を維持するかどうか、いろいろと悩みましたが、昨年、有資格者を副所長として迎えました。
これからは副所長と密に連携をとりつつ、顧客満足度を落とさないように慎重に事務所を運営していきたいと思います。
幸い、当事務所は職員の定着率が高いという特徴があります。独立後、初めて入っていただいたパートの女性の方が、今でも正社員として働いてくださっているくらいです。
同じ職員が辞めずにずっと働き続けてくれているので、人の入れ替わりによる業務品質の低下という問題に悩まされたことはありません。
これはサービス品質に直結する部分ですので、今後事務所がさらに大きくなり、職員が増えていっても、この風土を絶やさないようにしていきたいと思っています。
ミロク会計人会連合会で活動
―― 会計業界には会計人の大きな組織がいくつかありますが、そのひとつに、株式会社ミロク情報サービスのユーザー事務所が中心となって組織しているミロク会計人会連合会があります。
桒田先生は同会の広報委員(中国会)を務めるなど、組織の運営に関与されているそうですね。
委員を務めておられるくらいですから、事務所の基幹システムはミロク情報サービスの製品をお使いだと思いますが、どのような経緯があったのですか。
桒田 勤務税理士時代にお世話になった事務所は別のメーカーのシステムを使っていたのですが、独立を機にミロク情報サービスのシステムを導入しました。初めて使うシステムでしたから、慣れるまでに1~2カ月ほどかかりましたね。
前の事務所で使っていたシステムをそのまま使えば新しいシステムに慣れる手間はかからなかったわけですが、親しくしていた先生に「ミロク情報サービスの製品はいいよ」と言われていたことが頭に残っていて、関心を持っていたのです。
慣れてしまえば大変に使い勝手がよく、処理も速いので、ミロク情報サービスの製品にしてよかったと思いました。
ユーザーの声が本社に届く
―― 桒田先生は開業から現在に至るまでミロク情報サービスの製品を使い続けておられるわけですが、使い続けている理由を教えていただけませんか。
桒田 最初に導入した専用機の持っていた操作性のよさ、処理の速さといった特徴を、パソコン上で動くシステムになってからも一貫して維持している点は大きいと思います。
また、ミロク情報サービスのユーザー事務所は、ミロク会計人会連合会という組織を作っていますが、この組織の存在も私にとっては大きいですね。私はミロク情報サービスの製品を薦めていただいた先生から、会にお誘いいただき、いくつかの役職も務めさせていただきました。
その関係で、ミロク情報サービスの経営陣をはじめ、本社の方とも面識があります。だから知っているのですが、ユーザー事務所から「システムのこの部分をこのように変えてほしい」といった要望を出すと、それが本社や開発チームに本当に届いているのです。
会計システムは会計事務所にとっては最も重要な基盤ですから、全国で使われているということになると、大変な数の要望が出されていると思います。
会計人会の役職の関係で面識のある先生などは、かなり厳しい注文をミロク情報サービスの経営陣に直接ぶつけたりしていました。
しかし、その先生はミロク情報サービスのことが本当は大好きなんですね(笑)。好きな会社だから、叱咤(しった)激励したくなる。そのような感覚だったのではないかと思います。
ミロク情報サービスは、そのようなさまざまな要望を全国からくまなく集めて本社に集約する仕組みを持っていて、実際に製品改良に反映されているのをこの目で見てきました。もちろんなかには実現不可能な要望もあるとは思いますが、長年使っていると、確実によい方向に改良されているという感覚を持ちます。
システムの使い勝手、そしてユーザーの要望を真摯(しんし)に受け止める企業の経営姿勢が、この製品を使い続けている理由でしょうか。
経営者との絆を大切にして地域貢献に尽力
―― 事務所の今後の展望についてお伺いしたいと思います。
桒田 当事務所はこれまで、私をトップとする文鎮型の組織で運営してきました。今は副所長がいますが、それ以外に役職はありません。
しかし、今後、拡大と並行してサービスの質を高めていくことを考えると、さらに税理士を増やして、税理士法人化するのもひとつの道だろうと考えています。これは実際に、職員にも話していることです。
まだはっきりとしたことは決めていませんが、いずれは文鎮型組織ではなく、中間管理職を置くような体制に移行していくかもしれません。
事務所をどのように発展させるにせよ、一番大切なことは、「お客様の顔をきちんと見て、相談を受ける」という姿勢をなくさないことだと思います。
仮に私がすべてのお客様のところを回りきれなくなっても、別のスタッフがきちんと社長さんと話をして、相談が受けられるような体制を目指していきたいと思います。
―― 本日はご多忙のなか、お話をお聞かせいただきありがとうございました。桒田三秀税理士事務所のさらなる躍進に期待しています。
導入事務所様のご紹介
桒田 三秀(くわだ・みつひで)
桒田三秀税理士事務所所長。税理士。立命館大学卒業後、中京大学大学院に進学。勉学の傍ら、法律会計事務所に勤務し、中京高校の教壇に講師として立つ。広島県尾道市の会計事務所に勤務しながら税理士資格を取得。平成8年、独立開業。顧問先企業を自らの足で訪問し、丁寧な経営指導をすることに定評がある。スタッフ12名。クライアント数約300件。
桒田三秀税理士事務所
所在地 | 〒720-0023 広島県福山市北美台13-5 |
---|---|
代表者 | 桒田 三秀 |
TEL | 084-923-5504 |
FAX | 084-923-1707 |
URL | http://www.tapartners.or.jp/ |
- 本事例の掲載内容は取材当時のものです。